私の人生ぱっぱらぱー

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コロナ発症して心壊れた話1

最初に言っておく、一刻も早くかかりつけ医を作るためになんとも無くても家の近くの内科の診察券を作りに行くことをオススメする。発熱してからは手遅れだ。

先月コロナになった。職場の建物第1号(復帰してからもう1人同じ日に発熱した人がいたことを知った)のショックはでかい。
コロナになると大変。何が大変か、この地に住んで2年、内科のかかりつけ医がいない。発熱してとりあえず相談センターに何回かけても電話するも繋がらず。(このとき首都部では1日陽性者7000人突破してた)
しょうがないので頭痛、発熱した体にムチをうってその状態で行けそうな病院を片っ端から電話する。診察券持ってないと見て貰えなかったり発熱した人は見れないと断られたり、今日の受付人数は超えたと断られたり。
途方に暮れた。とりあえず持ってる診察券をかき集める。その中に内科もある病院があるではないか。でも遠い。これで断られたら職場に連絡しよう、そう決めてそこの内科は使用したことないことを伝えて連絡した。
幸い受診できるとの事。この時間に来てくださいと指定され、その時間までしばらく空いていたため、過去の経験上最悪そのまま帰れずに入院してしまった時のことを考えて重い体にムチを打ち、洗濯をしたり玄関に入院セットを用意し、滅多に連絡を取らない親にそれや鍵の置き場所を連絡する。
そして時間が近くなり、徒歩だと30分以上かかる道のりを自転車で15分ぐらいふらふらと漕ぎながら向かう。
ガレージのような風の通る場所に通され心做しかの電気ストーブで暖を取る。まだ1月。そして自分は体調が悪い。
30分ほど待ち、抗原検査を顔をしかめるほどの激痛に耐えながら両鼻から2回とる。インフルエンザも調べるらしい。
そしてまた30分ほど待たされる。正直横になりたかった。陽性の結果と共に薬を渡される。
泣きながら来た道を戻り、泣きながら職場に電話をして休むことを伝える。必要最低限の生活しかしてないからもちろん心当たりなどない。その後結果が気になる親に伝え、返事が来る。
「やっぱりね」
先程も書いたが親とは滅多に連絡を取らない。年明けに実家に帰ったもののそういうことを言われるような話はしてない。そういう親なのはわかっていた。毒親に近いものかもしれない。普段なら取り合うのが煩わしくて無視する。しかしその時は数年ぶりに怒った。相手は何が悪かったのか理解せず、謝罪もせず、むしろ指摘されたことに対して怒りを向けてきた。駄目だこの人、やっぱり性格が合わない。両親と一緒に住む大好きな祖母(祖父も一緒に住んでいる)には申し訳ないが冠婚葬祭が無ければ今年は帰らないことを決意した。
当日から数日は体調が悪いのに医者や職場、保健所から連絡が来て忙しかった。
でも10日も家から出られない。過去に病気で休んだ時に不甲斐ない自分を責めて辛かったことを思い出した。いっその事楽しもうと工作やアクションゲーム、復帰してもすぐに動けるようにフィットネスゲームもかかさなかった。もうここから崩壊が始まったのかもしれなかった。
療養中何が辛かったか、それは花粉症かそれの症状かよく分からないものと持病の咳発作が数年ぶりに再発してたのが辛かった。
以上がコロナ陽性者の大まかな経験。
ここまではまだ大丈夫だった。
次の更新でそこから大変だったことを書こうと思う。