私の人生ぱっぱらぱー

適当に生きよう

コロナ発症して心壊れた話2

コロナになって発熱してから数日、持病の咳発作が久しぶりに止まらないのに加えて花粉症のような大量の鼻水の方がしんどかった。
大量の鼻水のせいで鼻は通ってるのに嗅覚が機能しなくなり、耳が車でトンネルに入ったような感覚で遠くなり、味覚は感じるが風味が感じなくなり違和感を抱えて食事をしていた。
とりあえず通販で花粉症の薬を飲んでからそれらの席を除く症状は改善されて行った。
元々花粉症のようなものは持っていたがここまで酷いのは人生で初めてで免疫力低下してたが故に悪化したのではないかと考えた。まあ、専門家でもなんでもないからあくまで考察に過ぎない。
10日の自宅療養中、上記の症状が改善されて家から出られないからやることが無い。とりあえず数ヶ月放置してたやりかけの刺繍をした。それでも暇だった。また、家にいると動かない。職場復帰の時に体力が無くなっているのも不安なためフィットボクシングのゲームをダウンロードして一日30分弱やることにして療養完了までの期間をすごした。
職場復帰してから明るく柔軟に対応するように務めた。その時点でもう既におかしかったのかもしれない。
そのときに同僚にした軽率な発言が上に報告が行き、後日怒られることになった。
別に怒られた内容は腑に落ちてるから異論は全く持ってなかった。
しかしその過程が壊れるきっかけになった。日頃から裏で言うぐらいなら直接言って欲しい、直接言ってくれた方が早く、別の人に同じ過ちをせずに直せるから。言いにくいのは分かってるからむしろ言い難いのに伝えてくれたありがたみを感じるのにそれを言ってもしてくれないのになぜ。
怒られた日は直接言って貰えない怒りで悶々としてた。幸い翌日が休みだったが休みの時でも悶々とし、「痛みを感じたい」と思いフィットボクシングをやった。望んでたほどの筋肉痛はなかった。その日の夜、入浴中に思いが爆発した。涙が止まらなくなり泣き続けているがゆえの寝れなくなった。寝たのも2時間程度。気絶するように寝たのだと思う。
翌日から3日間、上司にはこうなったことを報告し、泣きながら仕事した。午後は比較的落ち着き泣きはしないが笑もしない動かしたい部所に電気信号を送り動く感覚。まるでロボットのようはたまた自分を外から見てる感覚で仕事をしていた。もちろんその3日間は寝れてないし食事もその日倒れない最低限度を胃に詰め込んだ。
その3日間の2日目に上と面談をし、病院の予約はしてあるが寝れてないが故の判断力の低下、短期記憶が抜けることが普段より増え、何より食事をまともにとれてないため誰か転倒しかけた時支えきれない。一番関係の無い利用者に1番迷惑をかけるから次の休み以降休ませてもらうことにした。上は最後の言葉を聞き、それ以上は止めて来なかった。
休職した数日後の深夜の相変わらず寝れない深夜、辛いのが辛いのが辛いという地獄のような感情に襲われた。「誰か助けて……」これは救急車を呼ぶべきかはたまた徘徊して警察に補導された方がましなのでは?と考えたが泣く力しか残っていなかった。この感情が苦しくて死んだ方が楽に違いなかった。
さらに後日予約していた精神科の先生は「休みましょう」を何回か言った。
それ以降現在に至るまで眠剤抗不安薬を服用しながら安定とは言えないましな生活を送っている。
他にはまたしても親の無責任な発言で距離を遠く置いているぐらいだろうか。