私の人生ぱっぱらぱー

適当に生きよう

ひまわり

突然創作意欲湧いたので!





そういつはいつの間にか家にいた。六畳一間の荒んだ部屋に。いつ買ったか覚えてない。もしかすると酔った時に必要物品が一緒になって売っていたものを買ったかもしれない。
いつしか朝から酒を飲み酔った日に「大きく育つんだぞ〜」と種を蒔いたのは思い出してから赤面した。別に人前とかではかったのに。

今まで植物を育てたことは無きにしも非ずだが学校でみんなで育てたぐらい。その時はほっといたら誰かが水をやっといてくれた。幼少期に花が好きな祖母に感化されて1株貰ってベランダで育てたものの速攻水を与えるのがめんどくさくなって枯らした。この経験から植物すら世話できないのにペットだのの命あるものとの共存は不可能だと思っていた。だからこの歳になって植物を育てる羽目になるとは思わなかった。

これらの経験からどうせすぐ枯らすだろうと思いダメ元で育て始めた。どうせやることないんだ。

こうして今頭を掻きながらコップに注いだ水を与えている。不思議なことにそいつと暮らし始めてから言葉数が増えた。
芽吹いた時は「お、種の殻が邪魔なのか少し手伝ってやろう。あんまり焦らなくていいからな」間引きの時は「本当は全部残したいんだがな」初めて双葉の間から新たな葉が出た時は「おっがんばれがんばれ」という感じだ。
行動も変わった。朝起きて自分の朝ごはんを食べた後に水をやり、陽のあたる場所に移してやる。ずっと家にいるからかそいつがしっかりとした茎が出来るまでは何度か様子を見に行き、土が乾いているなら水をやる。そんな生活を送っていた。気温がちょうどいい時には一緒に黄昏てる自分がいた時に気がついた時には自分はこんなことをするようになったのかといつの間にか見上げるようになった空を見て思った。

そんなあいつは長くいない。長く保たそうとネットで調べてはみるもののそこまでやる気力はない。今できることをやり、ゆっくり土に還っていく準備をする。鼻腔をくすぐる水を与えた時に漂う土の匂いももう少しでおさらばかと少し寂しさを感じてる自分に驚いた。

あいつがいなくなったあとは自然とついたその生活習慣で水を与えていた時間の分掃除を始め、いつの間にかそこそこの生活感のある、人が住んでいそうな部屋になった。部屋がまともになると手持ち無沙汰になり何となくたまに公共職業安定所に行き何となくで決めたところで一見一般人と変わらない生活を送れるようになった。

落ち着いた頃にふとその出来事を思い出すと涼しい夜風が体を通り抜け、土の匂いがした気がして切ないような懐かしい気持ちで胸がきゅっとなった。

コロナ発症して心壊れた話2

コロナになって発熱してから数日、持病の咳発作が久しぶりに止まらないのに加えて花粉症のような大量の鼻水の方がしんどかった。
大量の鼻水のせいで鼻は通ってるのに嗅覚が機能しなくなり、耳が車でトンネルに入ったような感覚で遠くなり、味覚は感じるが風味が感じなくなり違和感を抱えて食事をしていた。
とりあえず通販で花粉症の薬を飲んでからそれらの席を除く症状は改善されて行った。
元々花粉症のようなものは持っていたがここまで酷いのは人生で初めてで免疫力低下してたが故に悪化したのではないかと考えた。まあ、専門家でもなんでもないからあくまで考察に過ぎない。
10日の自宅療養中、上記の症状が改善されて家から出られないからやることが無い。とりあえず数ヶ月放置してたやりかけの刺繍をした。それでも暇だった。また、家にいると動かない。職場復帰の時に体力が無くなっているのも不安なためフィットボクシングのゲームをダウンロードして一日30分弱やることにして療養完了までの期間をすごした。
職場復帰してから明るく柔軟に対応するように務めた。その時点でもう既におかしかったのかもしれない。
そのときに同僚にした軽率な発言が上に報告が行き、後日怒られることになった。
別に怒られた内容は腑に落ちてるから異論は全く持ってなかった。
しかしその過程が壊れるきっかけになった。日頃から裏で言うぐらいなら直接言って欲しい、直接言ってくれた方が早く、別の人に同じ過ちをせずに直せるから。言いにくいのは分かってるからむしろ言い難いのに伝えてくれたありがたみを感じるのにそれを言ってもしてくれないのになぜ。
怒られた日は直接言って貰えない怒りで悶々としてた。幸い翌日が休みだったが休みの時でも悶々とし、「痛みを感じたい」と思いフィットボクシングをやった。望んでたほどの筋肉痛はなかった。その日の夜、入浴中に思いが爆発した。涙が止まらなくなり泣き続けているがゆえの寝れなくなった。寝たのも2時間程度。気絶するように寝たのだと思う。
翌日から3日間、上司にはこうなったことを報告し、泣きながら仕事した。午後は比較的落ち着き泣きはしないが笑もしない動かしたい部所に電気信号を送り動く感覚。まるでロボットのようはたまた自分を外から見てる感覚で仕事をしていた。もちろんその3日間は寝れてないし食事もその日倒れない最低限度を胃に詰め込んだ。
その3日間の2日目に上と面談をし、病院の予約はしてあるが寝れてないが故の判断力の低下、短期記憶が抜けることが普段より増え、何より食事をまともにとれてないため誰か転倒しかけた時支えきれない。一番関係の無い利用者に1番迷惑をかけるから次の休み以降休ませてもらうことにした。上は最後の言葉を聞き、それ以上は止めて来なかった。
休職した数日後の深夜の相変わらず寝れない深夜、辛いのが辛いのが辛いという地獄のような感情に襲われた。「誰か助けて……」これは救急車を呼ぶべきかはたまた徘徊して警察に補導された方がましなのでは?と考えたが泣く力しか残っていなかった。この感情が苦しくて死んだ方が楽に違いなかった。
さらに後日予約していた精神科の先生は「休みましょう」を何回か言った。
それ以降現在に至るまで眠剤抗不安薬を服用しながら安定とは言えないましな生活を送っている。
他にはまたしても親の無責任な発言で距離を遠く置いているぐらいだろうか。

コロナ発症して心壊れた話1

最初に言っておく、一刻も早くかかりつけ医を作るためになんとも無くても家の近くの内科の診察券を作りに行くことをオススメする。発熱してからは手遅れだ。

先月コロナになった。職場の建物第1号(復帰してからもう1人同じ日に発熱した人がいたことを知った)のショックはでかい。
コロナになると大変。何が大変か、この地に住んで2年、内科のかかりつけ医がいない。発熱してとりあえず相談センターに何回かけても電話するも繋がらず。(このとき首都部では1日陽性者7000人突破してた)
しょうがないので頭痛、発熱した体にムチをうってその状態で行けそうな病院を片っ端から電話する。診察券持ってないと見て貰えなかったり発熱した人は見れないと断られたり、今日の受付人数は超えたと断られたり。
途方に暮れた。とりあえず持ってる診察券をかき集める。その中に内科もある病院があるではないか。でも遠い。これで断られたら職場に連絡しよう、そう決めてそこの内科は使用したことないことを伝えて連絡した。
幸い受診できるとの事。この時間に来てくださいと指定され、その時間までしばらく空いていたため、過去の経験上最悪そのまま帰れずに入院してしまった時のことを考えて重い体にムチを打ち、洗濯をしたり玄関に入院セットを用意し、滅多に連絡を取らない親にそれや鍵の置き場所を連絡する。
そして時間が近くなり、徒歩だと30分以上かかる道のりを自転車で15分ぐらいふらふらと漕ぎながら向かう。
ガレージのような風の通る場所に通され心做しかの電気ストーブで暖を取る。まだ1月。そして自分は体調が悪い。
30分ほど待ち、抗原検査を顔をしかめるほどの激痛に耐えながら両鼻から2回とる。インフルエンザも調べるらしい。
そしてまた30分ほど待たされる。正直横になりたかった。陽性の結果と共に薬を渡される。
泣きながら来た道を戻り、泣きながら職場に電話をして休むことを伝える。必要最低限の生活しかしてないからもちろん心当たりなどない。その後結果が気になる親に伝え、返事が来る。
「やっぱりね」
先程も書いたが親とは滅多に連絡を取らない。年明けに実家に帰ったもののそういうことを言われるような話はしてない。そういう親なのはわかっていた。毒親に近いものかもしれない。普段なら取り合うのが煩わしくて無視する。しかしその時は数年ぶりに怒った。相手は何が悪かったのか理解せず、謝罪もせず、むしろ指摘されたことに対して怒りを向けてきた。駄目だこの人、やっぱり性格が合わない。両親と一緒に住む大好きな祖母(祖父も一緒に住んでいる)には申し訳ないが冠婚葬祭が無ければ今年は帰らないことを決意した。
当日から数日は体調が悪いのに医者や職場、保健所から連絡が来て忙しかった。
でも10日も家から出られない。過去に病気で休んだ時に不甲斐ない自分を責めて辛かったことを思い出した。いっその事楽しもうと工作やアクションゲーム、復帰してもすぐに動けるようにフィットネスゲームもかかさなかった。もうここから崩壊が始まったのかもしれなかった。
療養中何が辛かったか、それは花粉症かそれの症状かよく分からないものと持病の咳発作が数年ぶりに再発してたのが辛かった。
以上がコロナ陽性者の大まかな経験。
ここまではまだ大丈夫だった。
次の更新でそこから大変だったことを書こうと思う。

ふたつのその後

今回は脱毛のその後と舌小帯短縮症のその後を書こうと思う。
まずサロン脱毛のその後、今8回目ぐらいを終わって初めてから1年半ぐらい経った。
体毛の濃いところはしっかり細くなり、最初腕とか週一位でそってたところとそう変わらない細さ。次に顔を除く体毛が比較的薄いところ(それでも気になるレベル)は無くなってはいないが顔の口周りとかの少し濃いめの産毛ぐらいで20cmぐらい近づいて見ないと分からないぐらいになり、それぞれ1ヶ月は剃らなくて平気かなーってぐらい。顔はそんな実感無い!
その他にはニキビや痣作ると飛ばされるので脱毛数週間前から食べ物や動きに気をつけるようになったため自分で言うのもなんだが綺麗になった。

次に舌小帯短縮症のその後について。
手術の時間は10-20分ぐらいだったと思う。ずっと口開けていなくてはならないし口の水分ガーゼで奪われるしで顎が疲れた。痛みは麻酔効いててその時はほぼない。
今回私がやったのは詳細に説明されなかったがメスを使って行い、舌の先端の方をレーザーで止血されたと思う。根元の部分は3針ぐらい縫った。
術後直後は麻酔は効いてたが舌の裏の麻酔のみのため喋ることにはほとんど困らなかった。そして化膿止めを2日分渡された。
麻酔が切れ始めたあとからその日は辛かった。縫ってある根元が突っ張って痛いのと違和感。喋るのはほとんど問題ないが水ですら飲み込む時にツッパリと痛みを感じ、その日のご飯はサラダと刺身だったがその2つで食べるのに30分かかり、嚥下が疲れて断念した。
翌日は少し違和感にも慣れ、食事は全量。その翌日は下顎の右側の唾液腺周辺が痛かった。
滑舌は周りはさほど変わった様子はないとのことだが、唯一私のいつもの声掛けに聞き返して来る人には話が格段に通りやすくなったと思う。
約1週間後、抜糸の時、1つは解けてたとの事。(喋ったり食べたりすることで解けることがあると事前に説明されてた)
抜歯の時の痛みは糸を抜く時ほんの一瞬チクッと痛みがある程度。
と上記のような感じでとりあえず治療終了。感想はわざわざ鏡を見て舌を動かさないと可動域が広がった実感はあまりなかった。

ちゃんとその後を書いた自分に賞賛を送りたい。上記の2つの内容を参考にしたい人は別の投稿も合わさて呼んで欲しい。
ノシ

大人の舌小帯短縮症

久々に書くブログ、どう書けばいいのか忘れてる今日この頃、タイトル回収の経緯を簡単に書くことにする。

話は1.5年前、なんか親知らず痛い気がするなーってな感じで幼少期通った歯医者で歯肉炎治療で歯石取りの先のとがったやつが嫌いになって以来虫歯も何も無かった歯医者嫌いの私。地元とは離れたところに住み始めた私は確実に治療期間が早く終わらせてくれる歯医者を知り合いに紹介してもらい今の歯医者に通うことになった。
その時に骨もまださほど固くない若いうち、女性は特に妊娠中とかが絡むとめんどくさいらしく抜いとけと言われ1本抜いた。残り3本
そうしてコロナ禍になり、コロナだから〜って伸ばして先日まで行かなかった。

そしてついに、日帰り旅行で友達が撮ってくれた写真の自分の歯並びが気になりすぎて1.5年振りに歯医者に行った。

私の主治医はネット掲載は少ないもののその土地の周辺のクチコミトップレベルらしく、これでもかってぐらい患者に説明してくれる。
基本歯医者通いたくない私は歯科矯正ついでに相談を沢山しようとなり喋りに喋りまくった。
どこが気になるかとか親知らず抜いたら口腔ケアどうすればいいのかとか抜いたところに食物残渣が入ったらどうすればいいのかとか。

そしてここでタイトル回収開始。
小児の頃、上顎の小帯(上顎と上唇を繋いでるひだ)を切ったがそれ以来上顎にに下の歯が当たって痛いこと(私の下の前歯は内側に生えてる)を伝えた。
まず当たってる部分にポチッとしたヤツあるけどこれは問題ないし歯列矯正で歯が当たらなくなるらしい。
次に私は上の前歯と前歯の間に喉ちんこみたいなのがあって前小帯を切った時はとりあえずひだを切っただけらしくてその根元?部分(喉ちんこみたいなとこ)を取らないと矯正してもまた開いてくるから多分取ることになる。
最後にその流れで舌の裏にもひだがあるんですよねーって話をした。
これが舌小帯短縮症なのは滑舌が悪いのがコンプレックスな私はちゃんと調べてた。調べた頃には大人でネット情報だと発音ができ上がる前の小児のうちに治療するものだと知っていた。しかも中等症だと言うことも。しかし20数年生きてきた大人の今、切ったら今まで形成してた喋る機能がそこを切ることによってまた1から形成しなくてはいけないのではという不安で今日に至っていた。
しかし先生は確実に切った方がいいとのことしかも先生はこのレベルのを初診で気づけなかったとの事。

「全然気づかなかった位には自分で滑舌のトレーニングしてたんだね」

この一言で長年のコンプレックスが救われた気がしてうるっとした。なんなら元大学病院勤務の先生は今はレーザーがあって縫わずに済む方法があり、大人の方が事例は少ないが(大抵は小児でやるため)じっとしていられる為少ない麻酔で済むこと、唾液腺がはっきりわかるのでそこに触れないように安全にできるからやりやすいと言ってくれた。治療期間は1週間ほどらしく、過去にやった大人の事例だと確実に切った方が喋りやすくなり、英語の発音とかしやすくなったらしい。私の場合は舌小帯が分厚くレーザーで切れなかったらメスで切る可能性があるとのこと。また、術後治療期間終了するまで仕事で喋る事への影響ないか聞いたところ大人の症例が少ないため小児の場合はやったあと学校とかに必ず伝えて貰ったが特に問題になってない場合がほとんどとの事。あと先生がすごい人なのか普通なのか分からないが痕とかは残らないらしい。

ちなみに先程書いた下の前歯が内側に生えているのは舌小帯短縮症が原因で普通の人は舌で自然と押して外側に動いていくのが多いが私の場合はひだにより舌に可動域制限があって押す力が加わってないからそうなったそう。ついでに歯並びが原因だと思ってた前歯で咀嚼できず、パスタがよく喉に引っかかってむせるというのは舌で食べ物を丸め込む食塊が上手く作れてないから起こるものだと教えてもらった時は驚いた。

今通ってる歯医者の先生は好きだが歯医者は嫌いな私、親知らず抜いて経過を見ながら切るという方針で固まっている。とにかく通う回数を減らしたい。
なんならその日に上下2本抜いた。残り1本。
それが終わったらようやく歯列矯正開始。

今回わざわざタイトルに症状名を書いてまで書いた理由は私が大人になってもずっと悩んで必死に情報収集してた内容を当事者として発信して同じく悩んでる人にひとつでも引っ掛かりを増やせたらなと思って書いた。
とりあえず同じ症状で悩んでるなら歯医者に行って、相談、他を当たってくれと言われたら紹介して貰うとかでいいかもしれない。
まだ治療は開始してないが開始したら経過や新たな悩みが出来たらそれとともに載せていそうかなと思う。

P.S.今の悩みは治療費。保険適応で親知らず2本とレントゲンで樋口さん消えたの怖い。

サクナヒメ

先月辺りクリアしたSwitchのサクナヒメ
ピクミンデラックスを1週間以内に終えた私だから早く終わるだろうと甘く見てた。甘く見てた(2回目)
結論から言うと3週間かかった。
仕事と睡眠時間と日常生活動作時間を確実に確保した上でやったのだから早い方だとは思う。まあ誰が見てるか分からないためブログに書けないチート術で時間確保してだが。
アクションゲームは片手で数えられるほどしかやらない私。最初はジャンプは出来るが斜めに羽を伸ばせなかった私が最後の方ではスムーズに戦技とか組み替えるぐらいになった。
上の内容だけでも苦労したがもう1つ苦労というか絶望した事が。川の方のマップ行く時にバグで新たにふたつ行ける場所が増えるところ、クリアしないと進まない方がまったく出てこなくて最初からやり直したとこ。ちょうど中盤になった頃だっので本当に絶望した。苦労したものはなんだったのか。
なんとか(精神的に)持ち直してクリアに至った。
何だかんだゆっくりやって20年目とかでクリアした。稲作作りは便最高と文明の利器最高っていう感想が強い。稲刈りが楽しかった。
今回はいつも以上にまとまりのない文章だがこんな所で終わろう。
ノシ(古い?)

年末

ベントラッシュ、しんどくね??
仕事でイベント関連基本やるんだが楽しいんだけど準備大変だし今回はクリスマス担当で男性職員女そu……ミニスカサンタ交渉が何より大変だし。これは完全に趣味だけど。
年末は年越し、正月。連日なんだから一緒にならないの?と本心。何よりも初詣1月下旬にずらして決行するらしくて馬鹿じゃないの?と正直決めた人に思う。オンライン参拝進めた人がいたのにですよ。
そんな中、仕事で職場の布団に寝たら肌荒れて皮膚科行く羽目になった。お湯に当たると痒い通り越して痛いだよ。入浴介助拷問ですね。原因は不明。だって過去に気管支疾患でアレルギー検査受けたらハウスダスト系異常なかったんだもん。
仕事の愚痴もこれぐらいにしといて。
脱毛初めて3ヶ月。次回から毎月通わなくても良くなった。
効果は実感してる、剃るペースが圧倒的に減った。剛毛部分が細くなってる。まだ全体的に薄くなってる訳では無いがなかなか良いのでは?このペースだったら夏に間に合いそう。夏になんも予定ないが。